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お台場の女神

 初めてのお台場に15歳の中原中也は浮かれていた。
 横浜産まれ横浜育ち。産まれて8年間横浜で過ごしてきた少年がお台場という初めての観光地に浮かれるのも無理はない。

 兎にも角にも初めてのお台場に浮かれていた中原は言葉にしないものの初めて見る全てのものに目を輝かせていた。
 隣の太宰は他人のフリをしていた。
 それでも浮かれた素振りを見せるのは恥だと思っていたのか、中原はその興奮は口にはしない。澄ました顔をしたまま青い瞳をキョロキョロと忙しなく動かしているのだ。

 そしてとうとう我慢出来なくなった中原は「なあ、あれ見ろよ……自由の女神ってアメリカじゃなくてお台場にあったんだな……」と震える声で言った。
 太宰は「君って、本当に馬鹿なんじゃないのかい?!」と大笑いした。

 それから太宰は中原から一週間口をきいてもらえなかった。人の無知を馬鹿にしてはいけないよ、と森に諭された太宰は、以来お台場には行っていない。
 曰く、あんな自由の女神なんか建てちゃって、馬鹿じゃない?とのことだ。

 ちなみにお台場の自由の女神像はフランスから贈られた友好の証であった初代女神像のレプリカである。決してアメリカの自由の女神像を真似た訳ではない。
 それを太宰に指摘した国木田は遠回りの嫌がらせを受けた。
 人から無知を指摘されても八つ当たりしてはいけないと諭してくれる人間は、悲しいかな、探偵社にはいなかった。