短編

くだらないこと(くだらなくない!)

 太宰治には美意識というものが欠けている。常々思っていることだ。もとの顔がいいのに、何故それを磨かないのか。それはもはや美への冒涜である。
「美への冒涜……って随分と大袈裟だな」
「ん、言いすぎかもしんねえ」
でもよぉ、と、明らかに酔っ払った赤毛の青年が言い募る。
「なぁんもしなくても、あんな綺麗な顔してンだから、ちょっとは自分の容姿に気ィ使えってんだ!」
 ダァン!とジョッキを机に叩きつける音が響く。

 酔っ払った赤毛の青年こと中原中也は今をときめく若手俳優、太宰治のマネージャーである。そして中原の愚痴に付き合っているのが同じく太宰のマネージャーである国木田独歩だ。
 彼らは同僚として、そして太宰治の破綻的性格の被害者としてこうやって酒を酌み交わすのだ。

 だがしかし国木田は知っている。この中原の愚痴は国木田のそれと少し毛色が違うのだ。なにせ大まかに言ってしまえば国木田はビジネスを担当し、中原は謂わば付き人のようなものなのだ。中原は多忙な筈なのにずぼらな太宰の世話を一手に引き受け気分屋な彼の気分をなんとか盛り上げ彼のために東奔西走する。
 そしてそれだけでなく彼は“若手俳優・太宰治”のイメージを徹底的に守るべく身の回りの世話を完璧にこなしてみせるのだった。

「家事ですか?うーん……実は私、家事ってやったことないんですよね…。あ、部屋はきれいですよ。もうホテルかってぐらいに完璧に。
 ……やだなあ、彼女じゃないですよ。中也ですよちゅ、う、や!私のマネージャー兼付き人兼……主夫?」
こてん、とあざとく首を傾げて太宰がそう言ったのはとあるインタビューの時だった。
 このインタビューで太宰は“マネージャー兼付き人兼主夫の中也”なる人物が如何に太宰治の私生活の世話をしているのか赤裸々に語った。それはもう赤裸々に。それを見て顔を青くさせたのはインタビューを見ていた中原だ。テレビで深夜に三十分だけ放送されるPRの為のインタビュー。太宰にはちゃんと次の主演舞台のPRをしろと言ったのに。
 中原は結局、太宰の家に住込みで炊事洗濯掃除は勿論ずぼらな彼のスキンケア・ヘアケア時には風呂に入れ耳かきをすることを暴露され頭を抱えた。
「ええ!本当ですか!まさか歯磨きとかもナカハラさんにしてもらったりしてたり……」
「それはまだしてもらってないですよ!」
ははは、と朗らかに笑って「そこまでしてきたら、私だって『君は私のお母さんなの?』って言いますよ」などと宣う太宰に、中原は久しぶりに殺意を覚える。
(まだ、ってなんだよ、まだって!
 しかもあの野郎、あの目、ぜってえ歯磨きしろって言ってくるだろう!!)

 そんな太宰のインタビューはファンの中では“問題のインタビュー”となりその日から黒子の中原中也は“名物マネージャー(兼付き人兼主夫)”中原中也となった。そしていつしか中原に付いたあだ名は“執事”やら“じいや”やら“旦那”やら。酷いもの(かつこれがファンの中では主流の呼び名であった)だと“中也まま”などと呼ばれたのだ。

「だいたいよぉ………ままって何だよ……ままって」
ぐすん、と啜り泣きのお手本のような音が赤毛の端正な顔から発せられる。
 国木田は「あー」だとか「うー」だとか呻いてから「歯磨きは、してやってるのか」と控えめに問う。
「いや………まだ…………たまに歯ブラシ持ったまま此方見やがるから喉まで突く素振りして牽制してる」
「…………そうか」
国木田はぽんと肩を叩いて労る。そして咄嗟に国木田の脳裏に浮かんだのは、太宰が中原の固い膝枕を享受しながら大きく口を開け中原がしゃこしゃこと歯を磨いてやっている光景。非常にグロテスクなその光景を頭を振って追いやった。
 その一報で国木田はそれが近いうちに現実となることを半ば確信している。

「でもなあ、中原。お前は太宰を甘やかしすぎている。敢えて言わせてもらおう。太宰があんなヒモ一歩手前どころか家では生活能力ゼロな子どもに仕立て上げたのはお前だ」
「うっ……だってよお」
気まずそうに目を逸らす中原。国木田はトドメの一発とばかりに「そもそもヤツを風呂に入れてやっているというのもお前が始めたんだろう。それは異常だ。俺でもわかる」と言い放った。

 そうなのだ。太宰治があんな風になってしまったのには中原の責任は大きい。
 国木田は思い出す。
「中也が私をお風呂に入れたがるからね、付き合ってやっているのさ。ね?私って優しいだろう。
 だって中也が“やりたいこと”をさせてあげて、しかも“命令されてしぶしぶ”という体までさせてあげてるのだもの!」
かつて太宰はクリスマス前の少年のように嬉しそうな顔で国木田にそう耳打ちした。

「本当はね、中也は私の犬なのだよ。犬は飼い主のことが大好きで仕方がないのさ。
 飼い主としてはご褒美を与えてやらないといけないだろう?だから私は中也に世話をされてあげているのさ」
ね?私っていじらしいだろう?そう言った太宰の額をパシンと叩いてから、国木田は同僚の顔を思い浮かべため息をついたものだった。

 国木田は、おのがパートナー兼大切な商品である太宰の嬉しそうな顔を思い出しながら、酔いつぶれた中原の顔を見る。

 そしてふと思ったことを口にした
「………風呂に入れ髪を洗ってやってる時点で、今更歯磨きなんぞ、もはや些事じゃないのか?くだらなくないか?」
「くだらなくねえよ!」という中原の叫びは酒場の喧騒にかき消された。