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媽祖廟の早朝

媽祖とは航海・漁業の女神だ。
 実在した福建省・林氏の娘であり、神通力を持った才女であったそうだ。林黙娘と名付けられた彼女はやれ夢の中で父親や兄を助けただの、やれ雲に乗って空を飛んだだのと、何かと逸話に事欠かない。後に航海の神にとどまらず様々な災難を退ける神としてまつられる媽祖は、各地で信仰されている。

 さて、この横濱の媽祖廟であるが、早朝にはお年寄りが数人集まって太極拳に精を出している。ゆっくりとしたその動きはその老体にさぞかし乳酸をためていることだろう。健康長寿、人生百年時代の模範である。
 彼らの顔は真剣そのもの。我こそは中国武術ほにゃらら流の門下であるといわんばかりの凛々しい顔つきであった。一汗かいた後は達成感のある爽やかな面持ちで太極拳仲間と世間話に花を咲かせる。早朝の爽やかな空にふさわしい爽やかな光景だ。

 それとは対照的に、彼らから少し離れた場所にいる太宰の顔はゲリラ豪雨に傘なしで挑む駅前のサラリーマンのような顔だった。

 なぜならば、早朝太極拳シニアに交じって赤毛の小柄な少年が太極拳に興じているからだ。
 少年もシニアに混ざって爽やかな汗を流していた。実際は少年ではなく、青年と呼ぶべき年齢であるのだが、シニアからは少年と思われ可愛がられていることがうかがえた。
 あのお爺さんたち、今話してるチビがマフィア幹部だって知ったら一瞬であの世にわたってしまうに違いない。太宰はそう思った。確信だった。

 少年のような赤毛の青年こと中原は、思えば武術という武術を極めたがる変態であったと思い出す。尾崎も中原に乞われれば金に糸目をつけず彼のためにその道の師を用意させた。
 そうして出来上がったのが武闘派かつ好きなものはと問われれば喧嘩と答える血の気の多い脳筋である。もっとも、武力で従わせるだけがマフィアではないと言い切りながらも案外拳にものを言わせる単純明快な方法を好む尾崎のもとで育った彼だ。あの仕上がりになるのは火を見るよりも明らかである。

 太宰は汗臭いの嫌い、などと言って制汗剤を中原にぶち撒け「参考になるんじゃない? 一緒に習えば?」という森の言葉を無視し続けた。ちなみに様々な師から教えをつまみ食いした中原は、たまたま見た太宰の指導を「野良犬の糞より酷い」とこき下ろしている。
 現在はシニアと混ざり健康促進に取り組む彼であるが、当然中国武術の師の教えを受けたこともあるのだ。ほにゃらら流だとかいう流派のナントカという男のもとで武術を習い、日夜稽古に励んでいた。
 基本的に中原がどんな武術を習おうがあまり興味の持てなかった太宰であるが、この中国武術の師だけは非常に思い出深かった。もっと言うと感謝さえしていた。

 そのナントカとかいう男は武術だけでなく、中原に彼の故郷の料理を教え込んだからだ。
 海の幸を使った料理やガチョウのタレ煮込みなど、中原が仕込まれた料理は多岐にわたる。太宰はひそかにその男は武術の達人ではなく料理人だったのではないかと疑うほどだった。
 料理を習った中原は、尾崎や森に披露する前に必ず太宰に手料理をふるまった。「無駄に超えた舌の手前をクリアした品なら二人に食べてもらえる」と中原は言った。
 
 「僕は毒味かい?」と文句を漏らしていたが、太宰は毎度毎度、綺麗に完食していた。悔しいことに中原の作る料理はどれも絶品だった。「別に中也の料理がおいしいんじゃなくて中華がおいしいだけだから勘違いしないでよねっ!」と言いながらカニの生漬けを頬張る太宰はどこからどう見ても中原の料理に屈していた。

 「あ~~~……」
むかつく。と太宰は独り言ちる。
 中原の料理――中原に中国武術を教えた男の故郷の名を看板に掲げた店はこの中華街にはない。
 それ故に、あのガチョウのタレ煮込みも、生漬けも、ヌードルも、横浜では食べることが叶わないのだ。マフィア幹部出会った頃なら中華街の料理人に作らせることも出来ただろうが、今は一横浜市民である。

 ぐうう、と音がなる。腹の虫が爽やかな朝の空の下で恨めしげに媽祖廟に向かってうめき声をあげたのだ。
 一日が始まる。
 太宰はなんだか死にたくなった。