長編

氷砂糖と岩塩

 中原は一刻も早く腹の裡に溜まったどろどろとしたモノを吐き出さなくては、とベッドから抜け出しシャワールームを目指した。一糸纏わぬ姿のまま、一歩二歩と蝸牛の如き歩みで鉛のように重い体を引き摺る。
「―――……っ、」
 しかし、腹の奥に放たれたものが足をつたう感覚にずるずると座り込んでしまった。齢十七の、少年を抜けきれずにいる未成熟な体を抱きかかえるようにして、唇を噛みしめる。
 叫び出したくなるような感覚だった。とうとう中原は四つん這いになり、ぜえはあと肩で息をした。

 中原は太宰に犯された。好き放題に体を暴かれた。
 嘘だ。
 中原は太宰に抱かれた。丁寧に、氷を溶かすようにじっくりと快感を呼び起こされた。毒のような(或いは蜂蜜のように甘い)言葉を全身に流し込まれた。
 体の違和感を訴えればそれこそが太宰を欲しがっている証拠だと教えられ、苦しさに喘げばこれこそが満たされている快感なのだと教えられる。
 甘やかな言葉に溺れながら、中原は嘘つきと詰った。そんな言葉で騙されるほど大馬鹿野郎じゃねえぞ、と。
 しかし、太宰は瞳の奥にチリチリと炎を燻らせながら微笑むのだ。全て見透かしているかのような(或いは全てに目を閉ざしているかのような)顔をして。
 その黒曜の瞳に写る中原の瞳にも、太宰とよく似た炎が燻っている。その炎は似ているようで違うものだと、どこか冷静に見つめた。
 快楽に溺れ、甘い言葉に溺れ、太宰の瞳に溺れながら、中原は考える。詩と侮辱の違いについて。
――――似ているが、違うもの。
――――似ているが、違うもの……。

 それが数時間前の出来事だった。

 座り込んだ中原に「大丈夫?」と太宰が言う。「辛そうだね」だなんて口にするが、喜色を隠しきれていない。
「そんな格好で、顔で、座り込んで。中也、君、すっごくえっち。私の事誘ってるみたいだ」
「誰のせいだと思ってんだよ」
中原は弱々しく詰る。
 がくがくと震える腕。汗の滲む体。晒された項。
 太宰の不躾な視線を感じ体が火照るのを自覚した。こんな浅ましい自分自身の体が大嫌いだった。
「私のせい?
 ――――違うよ。中也が望んだ事だろう?」
そう囁いて、中原に覆いかぶさり耳を食む。びくりと跳ねる肩を嘲笑うように(或いは慈しむかのように)くすんだ赤毛を撫でながら、指は欲の残骸に塗れた孔に這わせた。
「大丈夫。何も心配いらないよ。
 こんなにひくひくして、私の指を食べようとしてるのも、君の体がいやらしく私を誘っているのも、君が淫売だからじゃあないんだよ。
 ――君が私を求めているからさ。君が私を☓☓しているからなのだよ」
恍惚として(或いは言い聞かせるように)囁かれ、中原は霞がかった頭で考える。
――――似ているようで違うもの。
――――哲学と子どもの遊び。

「君は私の事、☓☓☓☓☓でしょう?だから、今からすることは、君の望んだ事だ。いいね?」

そう言って太宰は天を向き張り詰めた欲の塊の、その先っぽを埋め込んだ。はあ、という溜息のような(それは快楽から出たものか?それともこみ上げる不快感から?)吐息。
「っ、あッ………、気持ち、悪く………ねえ、のかよ…?」
「まさか……ぁっ、ンん!
  ふふ………天国みたいさ」
――――似ているけれど違うもの。氷砂糖と岩塩。
「嘘つき」という言葉は嬌声となって中原の口から放たれた。

 ぐち、ぐち、と音が響く。四つん這いになったまま、ひっきりなしにもれる嬌声を押し殺そうと手を噛む。そんな中原を、太宰は楽しそうに見ていた。「傷がついちゃうよ」と頬を撫でながら、腰を揺らめかせぐちゅりと音を立てる。
「やらしい音。何がこんな音たててるか、君、分かる?
 ね、ね……今、私達、凄くいやらしくて恥ずかしいことしてるんだよ。でも、君になら、……君となら、いいやって思えるんだ」
そう言って興奮したように腰を掴みぐちゃぐちゃと抽挿する太宰。
 中原は浅いところをかき混ぜられ続け、奥の部分がじくじくと疼くのを必死に堪えていた。俺は、淫売じゃない。そう思うが本能は理性を裏切り、熱さを求め腰が揺らめくのを抑えられなかった。

「中也ァ……私、君の奥まで入りたい。さっきみたいに。
 ね?いいでしょ?」
太宰が切なく喘ぎながら言った。
「さっきはね、私が☓☓って言ったり☓☓☓☓☓って言うと、君の奥がうねってたんだよ。喜んでくれたのかい?
 それで、君の感じるところをぐりぐりってすると、ご褒美くれるみたいに、ぎゅうって締め付けるんだ。すごく気持ちよかったなあ」
その感覚を思い出したのか興奮したようにはあはあと息を荒げる。
「奥まで挿れていいかい?君の中で溺れたいんだ……」
さっきは許可なんてとらなかった癖に、と中原が肩越しに睨みつけた。しかし、太宰はへにゃりと情けなく眉を下げて「許しておくれよ、ねえ」と懇願する。☓☓だから、☓☓☓☓☓から、許してほしい。早く早く、許可を頂戴。意地悪しないで、お願いだから。そう言って、ちゅ、と項に接吻を落とした。

 中原は霞がかった頭で考える。似ているけれど違うもの。
――――詩と侮辱。哲学と子どもの遊び。氷砂糖と岩塩。
 まるで墓場の野良犬のようだと思った。俺たちは二匹の墓場の野良犬だ。
「お願いだ……狂いそう。狂いそうなんだ。
 早く、早く、溺れさせて……」
太宰が切羽詰まったように(しかしうっとりと)中原を掻き抱く。甘い蜜のような(或いは毒のような)言葉にぞくぞくとしたものが這い上がる。
「い………から。……っ、
  ――も、いいからァ!」
「……いいの?奥まで入っていい?」
こくこくと中原は何度も頷く。口の端からたらりと唾液が糸を引いて垂れた。本当に犬のようだ。そう思った。

嬉しい。
そんな太宰の小さな小さな声と共に、中原を襲ったのは暴力的な快楽と衝撃。
「――――ひっ、あ、あァ、あ!」
突然の抽挿に仰け反り叫ぶ。甲高い声を出して嬌声をあげた羞恥は目の前で飛び散る星になって弾け飛んだ。
「ぅあ………やば、気持ち良い……」
許しを得て直ぐに奥まで穿いた太宰は小さく喘いで快感をやり過ごす。熱いきっさきで弱点を抉られた。思わずぎゅうと締めつけありありと熱の形を感じ取り、また別の快楽を得てしまう。
「まっ……て、ちゅうや、っあァ!
  ん、んぅ……そんな、しめつけないでくれッ」
 ぺしゃりと腕の力をなくして上半身を投げ出した中原の背にぴとりと密着させ、快感に喘ぐ。そんな太宰のどくどくという鼓動を背中から感じながら、中原は押し寄せるものを受け流そうと必死になっていた。
 いつも飄々として、澄ました顔をする男が、快感に喘いでハァハァと犬のような荒い息で腰を振っている。
 考えるだけでくらりと世界が回転した。

「中也、中也。君にだけなんだよ。
 私の大好きな、親友の、●●●や●●にはこんな姿見せない。だって幻滅されたら嫌だもの。嫌われたくないもの。こんなはしたなくて、いやらしい姿、見せられない。
 ―――君だけなんだ」
太宰は熱に浮かされたよう言葉を紡ぐ。

●●●と●●がね、教えてくれたんだ。私は君のことが☓☓らしい。君を☓☓☓☓☓。☓☓だなんて、可笑しいって思う?思うよね。
でも、そうなんだ。
知ってる?人が人を☓☓する時、自分の全てを受け入れてほしいと願うものらしい。そして、自分をすっかり相手のものに、相手をすっかり自分のものにしてしまいたくなるのさ。
相手のことになると、途端に嫉妬深く狭量になる。
まさに私じゃないか!
私は君を☓☓☓☓☓し、君に☓☓されたい!あられもない姿も、えっちな姿も、情けない姿も、全部全部独り占めしたい。私のそんな姿も独り占めしてほしい。●●●も●●もそうに違いないって言ってくれた。
だから、これは、まさしく☓☓だよ!
ね、中也ぁ…………私、知ってるよ。君が私のことが☓☓ってこと。君が私を見る目は、他とは違ったもの。
君は私とこうして一つになりたかったんだよ。混ざり合って溶け合って……。ふふ、気持ち良いねェ。
君がご褒美に、ぎゅうって締め付けてくれると、直ぐにでもイきそうになるんだ。君に犯されてるみたいで、ぞくぞくする。私って、マゾだったのかなあ。

 長々と語りながら、太宰は激しい律動を繰り返す。
「あぅ……なん、れ…なんで、なんでてめえは、ッッああ!!」
呂律が回らないのを恥じてカアッと顔に血液が集中するように感じた。真っ赤だった顔が更に赤く、羞恥に歪んだのだ。
「なんでって………何が?」と太宰が訊く。本当は肉体すら邪魔だと独りごちて頬ずりをした。
「さっきも教えてあげただろう。
 君は私のことが☓☓だし☓☓☓☓☓。でも君はお馬鹿さんだから、自分の気持ちに気付いていないんだ。
 ね、私たちは金魚鉢の中の猫だ。分かるかい?どうしようもないんだよ。どうしようもない。衆人環境の中で生きている。私たちはいつだってあの人に見られている。把握されてる。でも、私があの人に庇護されてるからって、遠慮することないんだよ。だから、ね、ね………」
そう言って律動を止めて奥まで埋め込み感じ入ったように吐息を漏らした。「中也も気持ちいいでしょ」と手を前に伸ばしていたずらに性器に触れる。溢れる蜜を掬いながらぐにぐにと敏感な部分を弄り、埋め込んだ自身の性器を震えさせた。

 中原には、真っ赤な顔で、蕩けた瞳で、甘い声で、意味の分からない言葉を羅列し続ける太宰が、さっぱり理解できていなかった。圧迫感を堪えているだけなのに、自身の性器が快楽を示すように浅ましく勃起しカウパー液をだらだらとこぼすなど、あまつさえ腸壁を抉られ性器を膨らませるなど、あり得ない。あり得ないが、それを指摘され☓☓している証拠だ、などと言われてしまうと、中原は自身のことが分からなくなる。

――――確かに、俺は、こいつのことが☓☓なのかもしれない。だって、こいつは俺より賢くて、俺の知らないことを知ってる。
――――俺は、こいつのことを☓☓☓☓☓?そして、こいつは俺のことを☓☓☓☓☓のか?
――――いいや、違う。似ているけれど、違うものだ。違う。きっと、違う…………。

 中原には理解出来なかった。☓☓という言葉も☓☓☓☓☓という言葉の意味も、太宰の言う●●●や●●が誰を指すのかも、分からない。全てが理解出来ずにいた(或いは理解を拒絶していた)ので、遂には「分からない」と泣き叫んだ。
 太宰は分からないと泣き叫び喘ぐ中原を愛おしそうに抱きしめて、分かるまで教えてあげるから心配しなくていいよと告げる。
「お馬鹿な中也。大丈夫。ちゃあんと私が教えてあげる。☓☓って感情も、☓☓ってものも、沢山あげるし、沢山貰ってあげる。●●もそうしてあげなさいって言ってたから、これが普通なんだ。
 私たちは、普通の☓☓を知らないから、私が●●と●●●から聞いて、中也に教えてあげる」
ぐり、と指の腹で鈴口を刺激され悲鳴をあげながら、中原は考える。
――――似ているけれど違うもの、氷砂糖と岩塩。詩と侮辱。哲学と子どもの遊び。

「ね、☓☓☓☓☓って言って」と太宰。
「☓☓☓☓☓」と中原は唾液でべとべとになった口を動かして繰り返した。
「っ、―――〜〜ぅあッ、」
それを聞いて太宰はびくんと体を痙攣させてどくどくと欲を吐き出した。

「………あはは。ねぇ、凄くしあわせ。
 私、普通の☓☓を知らないけど、きっと、これは、☓☓っていうんだよ。そうは思わない?」
うつ伏せに倒れた中原を抱き起こし、抱え込むように(或いは閉じ込めるように)後ろから抱き締めて太宰が言う。
「知らねえ」と中原が言うと「意地悪」と、ちょっと楽しそうに(或いは馬鹿にしたように)笑った。そして、未だ欲を溜めたまま吐き出せずにいる中原の性器を丁寧に撫で、欲を吐き出させた。
「〜〜っっ、ああッ………ん、ぐ……」
身をよじり逃げようとするのを押さえられながら全てを吐き出し終わると、ぐったりと弛緩した体を太宰に預ける。この瞬間が、中原にとって、最も心地の良い瞬間であった。指一本動かせない己の体を、太宰に預け、微睡んだ。まるで汚濁を使った後のように。

――――俺も、こいつの言う『普通の』☓☓とやらを知らない。☓☓が分からない。知らない。理解できない。
――――似ているけれど違うもの。似ているけれど違うもの。似ているけれど違うもの……………。

 中原は太宰に抱きしめられたままで、ゆっくりと意識を手放した。

fin.