MAIN文豪ストレイドッグス短編

俺は犬だ。ただの犬だ。

 最初に産まれた場所ではコウニゴハチと呼ばれていた。俺に似た「兄弟」たちが沢山居たが、過酷なる生存競争に打ち勝ったのは俺だけだった。

 次に名前が与えられ、中也と呼ばれるようになった。中原さんちのペットとなったのだ。それ故に俺の名前は中原中也となった。
 俺はとても凶暴なので、弱いヤツには優しいが無意識に噛み付いてしまう。そう、無意識なのだ。これが非常に厄介だった。
 だから一旦、中原さんちから自立。中原さんちのガキどもは俺のことを「また噛むんじゃないかしらん」ととても怖がっていた。

 そして野良になるかと思いきや、森鴎外という一見冴えない町医者に拾われた。今の俺のボスだ。
 ボスは俺の他にも何頭も犬を引き取っていた。素直そうな真っ白な子犬や目つきの悪い真っ黒な子犬、生真面目そうな金色の大型犬エトセトラエトセトラ……。だがしかし、この中でも俺はとびきり強い。
「俺は貴方をどんな時でもお守りします!」
と吠える。ボスはいつも「元気だね」と褒めてくれる。ついでに骨付きの肉もくれる。ぱたぱたと尻尾を振って喜びを表すと「素直ないい子だね」とまた褒めてくれた。
 ただ「中也君は可愛いね」と褒めてくれるのはいただけない。
「俺は可愛いじゃなくてカッコいいとか勇ましいとか、強そうとか、有能とか。そういうのが良いです」
と、ワンと吠える。
「はいはい、悪かったよ。君は良い忠犬だ」
そう苦笑気味に頭をぽんと撫でてくれる。
 俺は森さんちの犬で、とても嬉しいのだ。

 だがしかし、森さんさんちには最大の欠点がある。
「うわっ、ちぃっちゃい犬がいるぅ」
そう言ってニヤニヤと笑いながら俺を遠巻きに見るのは森さんちのクソガキ、太宰治である。
 奴はまだ幼い子どもだ。毛並みさえ整っていない、貧弱そうな包帯と消毒液の匂いにまみれたダセェ子どもなのだ。

 太宰治はある日、森さんちの犬たちにむかって「今日から君たちは僕の犬だ」と言った。そして、あろうことか、「おすわり!」と命じたのだ!
 俺以外の奴らは全員座った。しかし、俺は座らなかった。
「中也さん…」と真っ黒な子犬の芥川が責めるようにクゥンと鳴く。
「俺は、手前の犬じゃねえ」
と、俺はワンとひと鳴きする。
 だって俺はあくまで森さんちの犬なのだから!



 それから数日が経ってもガキは俺のことを「僕の犬」と呼び続けた。
 俺は絶対にガキの言うことを聞かなかった。たとえ餌を出されても前足で蹴ってやったし、ちゅーるは後ろ足で蹴ってやってから頂戴した。その度にガキはムッとして、これだから犬は嫌いだとこれみよがしに猫の動画をユーチューブで見ていた。そんなガキを、子犬の芥川と中島は「クゥン」と上目遣いに見て遊んでほしそうにしていた。ガキは二匹に「ウッ」と呻いて棒っキレを投げて遊んでやっていた。
「中也さんも、どうですか?」
「楽しいですよ」
 知ったことか。俺は森さんちの犬なのだから。

 さらに季節は巡る。
 俺以外の犬どもはガキになつき、俺はガキに懐かなかった。
 ガキは犬どもをブラッシングしているとき、ひどく子供っぽく、安心しきった顔をする。それ以外の時は宙に浮かんだ青鯖みてぇだった。そしてますます包帯と消毒液の匂いにまみれていった。
 そんなある日のことだ。ガキが手首を自分で切ってぶっ倒れていた。
 さしもの俺もギョッとして、それから呆れ返ってボスを呼んだ。ボスは俺が呼ぶと直ぐにやって来た。
「まったく太宰君ったら」
とボスはテキパキと処置をした。
 俺はというと、青い顔をしたガキがどうにも子犬みたいなので、側に座ってやった。ガキよりは温かいからマシになるだろう。ガキはぐったりとしていて、俺には気づいていないようだった。

 眠っていたガキが目を覚ましたとき、俺はぐうすかと眠っていたようで、俺が目を覚ますとガキがジイッと俺を見ていた。
「君が、森さんを呼んだんだね」
ガキが言う。
「血の匂いが、どうにも不愉快だったからな」
ワンワンと俺が言う。
「うんうん、そうだね。君は僕の犬だものね」
手前は俺がなんて言ってると思ってやがる。
 俺はかぷりとガキの手を(丁度俺の耳のあたりをさわさわと撫でていた)噛んでやった。仮にも森さんちのガキだから、甘噛みで容赦してやったのだ。
「うふふ。君の本気の度合いなんて分かってるよ」
痛くも痒くもないさ、とドヤ顔をする太宰であるが、そりゃあ甘噛みなのだ。痛くも痒くもないに決まっている。
 フン、と鼻で笑ってやると、太宰は「可愛くなぁい」と笑った。

 その日をさかいに太宰はますます俺のことを「僕の犬」と言って散歩に連れ出したがった。そして公園に連れて行って、棒っキレを投げて、取ってこい!と言う。
「俺は取ってこいなんてやらない」
「取ってこい!」
「だから、俺は取ってこいをやらない」
「取ってこいってば」
「手前の言うことなんて聞かねえぞ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………………言っておくが、コレは俺が取ってこいをやりたかったからじゃない。手前があんまりにも哀れでかわいそうだから、取ってきてやるんだ」
 こんな風に、俺は不本意ながらいつも公園で太宰と取ってこいをやってやる。大変不本意ながら。
 しかしながら、小憎たらしい太宰が「ふふん。さすが、僕の犬」と満足げなのは、見ていて悪くないのだ。


 さらに季節が巡った。
 太宰は俺のことを時折「相棒」と呼ぶようになった。おそらく人間の友達がいないのだ。
 俺はといえば、ご近所の野良犬を従えるようになっていた。そうは言っても勘違いしてはいけない。俺はあくまで森さんちの犬なのである。ボスである森さんの敷地内に勝手に居座る野良犬には身の程を弁えさせていただけなのである。
 そうして度々野良犬と喧嘩をする俺を、太宰は面白そうに見て「やっちまえ中也」と囃し立てたり、「喧嘩してはいけないよ。喧嘩するなら、僕からはるか離れたところでしてもらいたい。僕は、おまえを好いてはいないんだ」などと嗜めたりする。

 俺が思うに、太宰治という男は酷く臆病で複雑で、厄介で単純で、繊細な男なのだ。

 俺は森さんちの犬だ。しかし太宰治というガキが哀れでかわいそうだから棒っキレを拾ってきてやるし手の甲を差し出してきたら舐めてやる。
 だって太宰は犬嫌いのクセして森さんちの犬の世話をせっせと見て、人間の友人なんていない寂しい奴なのだ。だから俺は奴の言うことは俺が良いと思った時だけ聞くし、良いと思わなかったら後ろ足で蹴ってやる。

 だが、ほんの少しだけ。本当に少しだけ、太宰と取ってこいをするのは、楽しい。


 コレは奴には絶対に言ってやらない、尻尾にもよく言い聞かせている秘密なのだ。