MAIN文豪ストレイドッグス短編

祈る男

太宰の幸せを願う織田作と現実の乖離の話
暗いです

⊶⊶⊶⊶

 太宰治の心臓は鉛で出来ている。織田作之助はずっとそう思っていた。
 ずっしりと重い鉛の心臓。その心臓に薄い金箔を貼って、輝かせている。黄金の紛い物の心臓。
 そうだ、彼は“幸福な王子”の如く鉛の癖に黄金のフリをさせられていた。彼は快楽を幸福と呼ばず、死後に鉛の像となった“王子”同様に、現世に憂いていたのだ。
(でも、太宰は“王子”と同じではない。太宰にとっては善も悪も同じで、体に染み込んだ黒を落とすことなど到底不可能なことで、善人になることなど――――)

 そこで、織田はふと考えた。
 “幸福な王子”の“ツバメ”はめくらになった王子を愛し、死の縁で鉛の唇に接吻を施し死んだ。
 では、太宰にとってのツバメは誰か?太宰の涙に気付き、太宰を愛し、その唇に接吻するのは誰か?
“幸福な王子”はツバメを愛し、ツバメと共に死んだ。

 かつて、太宰はこんなことを織田に訊いた。
「中原中也って知ってるかい?」
織田は否と答える。
「名前しか知らないな」
「じゃあ教えてあげるよ。中也はね、私に依存しているんだ。中也は私がいなければ死んでしまうのさ」
歌うように太宰は言った。
「私は中也が死んでも、依然生きているのだろうけれどね。
 中也はきっと私がいないと死んでしまう」
「そりゃあ、また……」
織田は口を閉ざした。太宰の底の見えない瞳に喉を詰まらせたのだ。
(どうして。どうして、そんな辛そうな顔をする)
「だからねえ………私、中也は嫌いだよ。大嫌いだ。
 ――――重いよ。重すぎる。気持ち悪い」
だが、泣きそうな太宰の顔に、織田は「嘘だ」と目を逸らした。
「嫌い、嫌い、嫌い……。
  中也と私はどちらかが死んだら生きていられないんだよ。私には分かるんだ」
織田は太宰のぼさぼさの髪をかき混ぜた。
(哀れな太宰。確かに中原とやらは太宰に依存しているのだろうな。
  でも、中原が死んでしまったら、太宰も死んでしまうのだろう?死んだように、その瞳に今以上の虚無を湛えて、いきていくのだろう?)
太宰はすん、と鼻を鳴らして「織田作は、良い奴だねえ。私の親友だよ」と言った。

 織田はふと呟く。
「……中原中也。お前が、太宰の“ツバメ”になってくれはしないだろうか」
俺はもう死んでしまうから。今から死にに行くんだ。親友に止められたけど、行かなくてはならないんだ。親友を置いて何処かに行ってしまう薄情者さ。太宰を光のもとに導くことができるか分からないけれど、太宰が幸福になるためには、悪よりは善である方が、きっとマシに違いない。
 そして、“ツバメ”がいれば、或いは―――。

 織田は、会ったこともなく、顔も知らず、名前しか知らない親友の相棒に祈った。
 どうか、どうか、太宰を愛してやってくれ。出来れば奴と共に死んでくれないか。頼むから。俺の親友なんだ、お願いだ………。
 天を仰いで深く息を吸い込む。愛した子どもたちの顔と、それから二人の親友の顔が脳裏に浮かぶ。
(――――小説家に、なりたかったんだ)

 わん、と野良犬が吠えた。
 織田は薄らと笑って歩き始めた。

 中原は“ツバメ”になどなれない。太宰は“幸福な王子”のように“ツバメ”が自分のもとを去る事を祝福することなどできはしない。
 中原は太宰を光に導くことなどできはしないし太宰を愛することを理性で封じる。太宰は中原を愛してしまえば光の中で生きてはいけない。

 織田はそんなことなど知らずに天に昇った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。