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走馬灯は見えない

太宰治は何も知らない。中原中也も何も知らない。その時、彼らはお互いのことなど何一つ知らなかった。 

 持たされていたデジタルカメラを胸に抱えたまま「わあ」と太宰は声を上げる。
 倒れ伏す黒服の男たち。ポートマフィアに潜入していたスパイ。赤黒い柘榴がとび散った中で、素っ裸のままで、太宰に背を向け赤毛を靡かせる少年。先ほどまで男たちに陵辱されようとしていた哀れな男の子であったはずの彼。宙を踊り柘榴を次々と刈り取った彼。
 真っ白な肌と痛みきった髪の毛。手に持ったナイフからぽたぽたと垂れる赤い血が妙に映えていて、太宰はぽかんとそれを眺めた。

(すごく、きれいなおとこのこ)

「きみ、」と掠れかかった声で呼びかける。
 くるりと少年がふり返った。
 琥珀の瞳がキラリと宵闇に輝き、まあるく開かれれる。ぱちぱちと瞬きをするたび目の前に星が飛び散り夜風に冷えた体が熱を持つ。

「君、だあ
     れ 、!」

 だあれの「れ」の音に被さるように、パキ、と軽い音がした。ナイフが太宰の胸に真っ直ぐ飛んで来たのだ。投擲したのは、目の前の少年。
 太宰はゆっくりと倒れながら、少年が拗ねたような顔で「見せもんじゃねえぞ」と言うのを聞いた。
 ああ、殺された。そう思った。
 だが実際は殺されたのではなく、ナイフの柄が太宰の肋骨を折ったのだ。

 ああ、殺された。文字通り、私は彼にハートを撃ち抜かれた。きっと死ぬんだ。
 走馬灯なんて嘘だ。だって、見えるのはあの子の顔だけだ。

 うっすらと微笑みながら、太宰は意識を手放した。
 少年の名は中原中也。
 これが彼らの出会いだった。彼らはまだ、お互いのことを何も知らない。