MAIN文豪ストレイドッグス短編

いつかどこか

 俺は目の前の光景にあ然とした。
 目の前には女の死体。小柄な女だ。白いニットワンピースを赤茶にさせ横たわっている。女が流す血は彼女の柔らかな茶髪にこびり付き、何も写さない碧眼は真っ直ぐに俺を見ていた。
 俺の恋人だった女。そして互いに愛が冷め、別れ、もう会うことはなかった筈の女。その女が、俺の部屋で死んでいる。

「ごめんなさい」と死体の側に座り込んでいる金髪の女が俺に縋りつく。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、がたがたと震えて、両手を血で染めていた。今の俺の恋人だ。
「お前がやったのか」
俺が訊く。彼女はごめんなさいと繰り返し、俺の問いには答えない。
 俺は彼女の肩を抱いて、ソファに座らせた。ここなら死体が見えない。手についた血と、顔に飛び散った血を拭ってやる。
「大丈夫、大丈夫。大丈夫だから、落ち着け」
俺は馬鹿みてえに大丈夫だと言ったが、まったくもって「大丈夫」なんかじゃない。情けねえことに、膝が笑っちまっている。

「この女、」と彼女が震えながら死体を指さす。
「心中するっていうの」
「それは………お前とか?それとも、」
俺が言い淀むと彼女は俺に抱きつき涙を流す。彼女の背をなで擦りながら「俺を、殺そうとしたんだな」と呟いた。
 死体になった彼女は曲がりなりにも俺の元恋人だ。胸が締め付けられ、そして彼女が俺と心中を図ったという事実に慄いた。
「いいえ、違うの」
しかし彼女は俺の言葉を否定し涙ながらに訴える。
「この女、三人で心中するって言うの。あなたと、彼女と、それから彼女の恋人と」
「…………は?」

 思わぬ言葉に俺が絶句していると、不意にガチャリと玄関のドアが開く音がした。
 しまった、と俺は焦る。この死体を見られてしまっては彼女が捕まってしまう。どうにかして彼女を助けなくては。しかし俺は恐怖で少しも動けなかった。震えが大きくなる彼女を抱きしめ、歯を食いしばる。

 軽い足音。玄関から真っ直ぐに居間にきて、ピタリと止まる。ひゅっと息を呑む音。それからカチャ、という金属音。そういえば死体の側に包丁が落ちていたと思い出し、背筋が凍る。腕の中の彼女の震えが一層大きくなった。俺たちは、ソファで縮こまり、すぐ後ろにいる人物に恐怖する。俺たち隠れる事もできず、逃げることもできず、ただ震えていた。

「ねえ、君たち」
背後から男の声。ひどく穏やかな声だ。
「彼女のこと、殺してしまったんだね」と男は言った。
 俺は全身の肌を粟立たせる。この殺人現場を目の前にして、こんな冷静に、穏やかに居られる男が、恐ろしかった。

 男はソファの前に回り込み縮こまる俺たちを見下ろす。俺は男の顔を見ることもできず俯いていた。
「彼女ね、私の恋人だったのだよ」
そう言って、男はなんの前触れもなく、俺の腕の中の彼女の背を刺した。
 彼女は「アッ」と声をあげる間もなく死んだ。俺は呆然として、腕に抱いた彼女がまだ温かいことを確かめるように抱きかかえる。

「やあ」と男。見上げると、そこには、ぼさぼさ頭の美しい男がいた。
 男は今しがた刺し殺した俺の恋人を俺の腕から奪い床に転がす。そして呆然としている俺に跨るようにソファに膝をついた。眼前に迫る頬を染めうっとりと俺の目を覗き込む男の顔、真っ暗闇の瞳に言い知れぬ恐怖を感じた。
 男はそんな俺を嘲笑い、なんの躊躇いもなく唇を重ねる。

「やあ、中也。前世ぶりだね」

 男の目から溢れた熱い雫がぽたりと俺の頬に落ちた。

fin.