短編

おさむくんは犬がほしい

 森はあ然とした。
 目の前には頬を赤く染めた少年が、二人。
 一人はふわふわとした黒髪と大きな瞳を持つ少年。彼は黄色の帽子に水色のスモックを着たいかにもな園児であるが、その大きな瞳の輝きはとても幼気な少年には見えない――いや、ある意味では幼気とも言えよう。純粋な嗜虐心を孕んだ瞳はこの年頃の少年にはまま見受けられるものだ。彼はクリスマス前の子供のようにまろい頬を赤く染めていた。
 もう一人は赤毛と碧眼の少年。とある名の知れた私立小学校付属の幼稚園に通ういわゆる“お坊ちゃん”であった。彼はその年齢の少年らより幾分マセた少年で、園児達のリーダーだった。その彼は顔を真っ赤に染めて涙を大きな両目に湛えてぷるぷると震えているのだ。
 その理由は一目瞭然。少年の頭には大きな三角形が二つ。もふもふと柔らかそうな飾りが付けられたカチューシャを着用している。そして震える彼の細い両足の間からは、これまたもふもふと柔らかそうな長いフェイクファーが見えていた。
 つまり、彼は今、仮装用の犬のミミの付いたカチューシャと犬のしっぽ飾りを着用させられているのだ。しかも首には真っ赤な首輪、その首輪からは同じく真っ赤なリードが繋がれていた。

「ええと、中也くんと太宰くんは、なんの遊びをしているのかな?」
森は困惑を極めた頭で訊く。
果たしてこれは園児の遊びなのか、はたまたいじめではないのか。犬の仮装をしている少年、中原中也と彼に繋がれたリードをしっかりと両手で握りしめ天使もかくやという花もほころぶような笑顔を見せる少年、太宰治を見比べた。

「森先生、今ね、中也はぼくの犬なの」
太宰が言った。
「犬……かい?」
「うん。犬。ねっ、中也?」
「……………」
「ちゅーうや?」
「…………………わん」
「よーしよしよし」
やはりいじめだろうかと頭を抱えたくなった。

 この少年は森が理事を務める保育園の園児ではない。森と交流のある福沢が園長を務める保育園の園児だ。彼らはその友好関係から月に一度だけ、各々の園児たちを交流させている。
 だがしかし、まさかこんなことになろうとは。いや、たしかに何度か―――否、何度も彼らは口喧嘩をしていたしなんなら口喧嘩に飽き足らず手や足や歯が出た喧嘩もしていたが。なぜこんな、誰のフェチズムだと問い質したくなるようなことになるのだろう。

「ええと、太宰君、中也君が嫌がっているだろう?
 人の嫌がることをするのはやめなさい」
「でも、福沢先生は人のいやがることをすすんでやりなさいって言ってました」
それは意味が違う。森は確信犯的に答える太宰に困ったなあとポリポリと頭を掻いた。
「それに中也は、本当はいやがってないもん。ぼくの犬で、うれしいんだもん」
「はぁ?!ンなわけねーだろ?!」
得意げな太宰の言葉に中原がキャンキャンと噛み付くが「わん、でしょ!」と太宰に一喝されている。
「…………わん」
一喝された途端、悔しそうにしながらも“わん”と言った中原。

 森は嬉しそうにする太宰の顔を見て「ふむ」と考える。
 太宰治という少年は、どこか大人びていて、冷めたような瞳の少年だった。自分の体に無頓着で、いつも何処かに生傷を作っていて。厭世的で大人は信用ならない、といった瞳をしている少年だったのだ。
 その少年が、瞳を蒼穹に輝かせ、満面の笑顔を浮かべているのだ。
―――中原君には悪いけれど、太宰に付き合ってくれないかなあ……。
 赤みのさした少年のまろい頬を見ながら森は思わずにはいられなかった。

「ほらほら!中也!ぼくのまわりを三回まわってわんとなきたまえよ!」
「うっ、う〜〜〜」
「ほらほらぁ!」

「…………太宰君、ほどほどにね」

「中也ぁ、きみはぼくの犬なんだからぼくのそばをはなれちゃダメなんだよ」
「…わん」
「てはじめに、ぼくのイスになりたまえ!」
「?!」
「そのあとはぁ〜おふろではぼくの体とかみの毛あらってぇ…ベッドではゆたんぽになってぇ……めざまし時計になってぇ……」
「?!?!」

 太宰は中原のリードを掴んで心底嬉しそうに言った。
「ぼくね、ずっと犬がほしかったんだ!」
―――欲しかったのは、犬ではなく………。
森は苦笑いで太宰の暴走を止めるべく口を挟んだ。

「ほらほら、太宰君、それ以上やってしまうと中也君に嫌われてしまうよ。それは君の望むところではないだろう。
 いくら中也君が太宰君のことが大好きでも、ね?」
 森の言葉に二人の子どもの叫び声があがった。
 今日も保育園は平和だ。