短編

彼らは永遠に互いを知らぬまま

 太宰が彼を見たのは首領の執務室だった。
 赤毛をふわふわと風に踊らせながらエリスと遊ぶ彼は酷く異質だった。指先一つでエリスの玩具を宙に浮かべ自由自在に操ってみせる。
―――あの子、異能力者だ。
 太宰は一目見てすぐにそう判じた。だが、彼の異質さは異能からくるものではなかった。ほんの七歳ほどの彼の目はどこか大人びていてエリスを見る目はまるで妹を見るようだった。そして何より彼の輪郭は時折揺らめいて見える。
 これは、彼の持つ異能がゆえなのだろうか。
 太宰は彼をじいっと見つめた。


「君、」と首領の護衛、蘭堂が呼ぶ。
パッと此方を見た少年の大きな瞳が蘭堂をとらえた。
「君、君。彼が件の少年、太宰治君だよ」
蘭堂がすす、と少年を太宰の前に押し出した。少年は「だざい…」ときょとんとした顔で見上げた。
 ヘーゼルの瞳がゆらめき冬の空のような透明な碧が見え隠れする。柔らかそうな赤毛がかこむまろい頬は驚くほど白い。
―――それこそ、死体のように。
「そうだね。太宰君には紹介しておいた方がいいだろう。万が一があったら困るだろうから」
森が言う。
 どういうことかと共犯者の顔を見上げれば、彼は組織の長の顔で「蘭堂君はこれから私の側で護衛の任に付く。それ故に君と接する機会も多くなるだろう」と言った。
「なんなの? この子、蘭堂さんの子ども?」
太宰は二人を見比べる。全く似ていないではないか。ではなんだ。蘭堂は一〇にも満たない小さな少年をいつ何時であっても侍らせているのか。
 太宰の頭に小児性愛の四字熟語が踊る。
 しかしそんな太宰の考えを読み取った大人二人はくすりと笑った。そして少年に何事か囁いた。

「俺は、中原中也。蘭堂の、異能生命体だ」
そう言って少年が差し出した手は、黒い炎を帯びて揺らめいていた。ひゅっと息を呑み、まるで地獄の炎のようだ、と太宰はそう思った。


***


 蘭堂が異能の少年と首領とを引き合わせてからというもの、蘭堂は自身の異能の不調に悩まされていた。どうにも異能が自身の支配から解かれようとしているように感じてならないのだ。
 それまでは、あの少年の思考や感情(それも表面上の記号に過ぎないのではあるが)が薄っすらではあるものの蘭堂に流れ込んでいた。そして蘭堂は、少年を完璧にコントロールしていたのだ。

 それなのに。
 その筈だったのに。

「何処に行く?」
「何処って、何処だっていいだろう」
「………太宰君のところか」
蘭堂が低い声で問えば、少年は赤毛を逆立てて「分かってンなら訊くんじゃねえよ」と唸った。
「君、君………太宰君は君にとって危険な存在だということは解っているのか」
太宰治は異能無効化の異能者である。少年はそれを重々承知している筈だ。それなのに、何故、彼に近づくのか。
「………俺が、誰に会おうと手前には関係ねぇだろ」
「あるとも。君。君が太宰君に消されてしまったら、私は使役する者がいなくなる」
途端、鋭い殺気が蘭堂の全身を刺した。
「俺が誰と会うか、誰と話すか、何をするかは俺が決める。いくら手前でも、それを犯そうってンなら、俺は喜んでアイツに触れるぜ。なあ、俺の主なら俺が本気だってこと、判るだろう?」

嗚呼―――。

 蘭堂は怒れる少年に、寒色の瞳をすうと細めた。
―――嗚呼、君は………私の異能の筈なのに…………執務室であの少年に会わせてからというもの、君は私から分離しようとする………。

 異能の少年、中原中也は何かが違った。まるで一個体であるかのように振る舞い、かと思えば従順になる。
―――きっと彼は特別なのだ。
蘭堂は数年前の事を思い出す。


 消し炭になった大地。倒れ伏していた体はそこかしこから悲鳴があがっている。顔を上げて周囲を見渡しても、何も分からない。
 そう。何もわからなかった。記憶というものがないのだ。
 蘭堂は恐怖した。自身が何ものであるか、なぜここに倒れていたのか、全く分からないのだ。蘭堂はふるりと震えた。
 その時だった。なにかの鳴き声が聞こえた。いや、鳴き声というよりも、赤ん坊の、声。
「あー……」
蘭堂がふと、下を見ると、少年がいた。柔らかな赤毛の少年だ。歳は七つといったところか。何も纏わずに、赤ん坊のような意味のない声を発しながら蘭堂の服を掴んでいた。

 蘭堂は解った。本能的に理解した。
 この少年は、自身の所有物である、と。

 それから一週間後、蘭堂はポートマフィアに拾われる。その頃になると、その少年はまったく他の七つほどの少年らと同じく、話し、立ち上がり、歩き、食べていた。
 それはさながら赤ん坊が成長する過程を早回しにしたかのようだった。
  


 そんな彼の“反抗期”に蘭堂は胸騒ぎを覚える。
 彼はたとえ異能生命体であったとしても、あまりにも特殊だ。蘭堂の操る異能生命体の肉は死体である。ぜったいに腐ることのない死体。
 それなのに、少年の肉はどこか瑞々しく生の輝きがあった。彼の魂は成長していた。

 成長する魂と瑞々しい生の輝き、そして永遠に腐らぬ死体。
 そのアンバランスさがあの少年―――太宰治を惹きつけたのだろうか、と蘭堂はため息をつく。

 太宰治はかつて蘭堂にこう言った。

「中也は僕の犬だ。誰がなんと言おうと。
 蘭堂さんは運がいい。だって貴方を消してしまったら中也が消えるんだもの」


***


 中原は蘭堂の思考を、ぐるぐると腹の中に渦巻く不吉な予感を振り切るように駆け出した。
 目指すは彼――――最近できた悪友(尤も彼らはこの呼称を酷く嫌う)のもとだ。

「おいっ、太宰ィ!ゲェムセンタァ行くぞ!」
中原の大声に件の悪友、太宰はげぇっと顔をしかめて見せてからニンマリと笑った。
「懲りないよねぇ。何度やったところで君は僕には勝てないよ」
「ウッせぇな。前の時は手前がズルしたからだろうが」

 ポートマフィアにおいて、太宰は異質な存在だ。なぜならば蘭堂の異能生命体である中原にちょっかいをかけては怒らせて楽しむのだから。そんなことをするのは彼ぐらいなのだ。
 他の者は中原を恐れ(或いは一つの人格を認めず)話しかけようなどしない。その中で、太宰だけは足繁く中原のもとに通った。そしていつしか中原が太宰のもとに通うようになる。
 いや、中原は彼のもとに行かずにはいられない。彼の側にいることは消滅と隣合わせであるにもかかわらず、だ。

「もし手前に異能が無けりゃ、殴ってるところだぜ?」
―――もし彼に異能がなければ、触れ合っていただろう。

「手前は俺をガキだって言うが、もし体が成長してたら手前と同じぐらいの歳なんだからな」
―――もしこの体に成長というものがあったならば、彼とともに歳をとっていけただろう。


 中原は歯噛みした。
 彼の主である蘭堂から解き放たれてしまいたいと思ったことはない。しかし、時々、太宰が彼に囁く言葉―――君を僕の犬に出来たらなあ、と夢見るように口にする言葉に、鎖が錆び朽ちてゆく感覚を覚える。君を僕の犬に出来たら、真っ先にお手を覚えさせるよ、という言葉に、彼と触れ合えることを夢想してしまう。
 こんなことは初めてだった。

「ねえ、僕は未だ君を知らない。君に触れることが出来ない僕は君を永遠に知ることがない。
 これって、とっても不愉快だ!」
太宰はそう言って、触れるか触れないか、手のひらを彼の頬に近づける。

「いつか、君を僕の犬にしてみせるから」

 少年の言葉に、中原はもぞもぞと身じろぎ「やれるもんなら、やってみせろ」と毒づく。
 そして、不可能を夢想する少年に、ほんの少し憧憬を覚えるのだった。