文豪ストレイドッグス短編

ブルー、シルバー、ブルー

太宰と共演したことのある俳優は、彼のメイクにかける時間があまりに短いことを知っていた。
 あまりにもパッパッと済ませてしまうので、同じ楽屋を使う共演者が目を丸くさせることだって少なくない。太宰はそんな時、悪戯っぽく笑って「コツがあるんです」と決まり文句を言う。


 なんてことはない。彼はいつだって同じメイクをしているから早いのだ。
 太宰は自分の容貌が優れていることも、その魅せ方も熟知していた。ファンからは「いつも同じメイクですね」なんて言われることもあるが、似合っていないわけではないし、作品を壊しているわけでもない。
 そういう訳だから、彼自身そのアイシャドウパレットのことを思い出したのは実に四年ぶりのことだった。




 そのパレットを思い出したのは後輩の中島がメイクで悩んでいるというから話を聞いてやった時だった。なんとなく先輩風を吹かせてやりたい気分だったのだ。
 中島の役は幽霊だった。この世に未練を残し死んだ幽霊。
「幽霊と言っても、けっこう元気じゃないですか。だからと言って健康的でもおかしいでしょう? 真っ白でも変ですし……」


 ふうむ、と、太宰は人差し指を顎に当てて考える振りをした。
 本当は考えているのではなく思い出していた。


 太宰がまだ中島ほどの年齢のことだ。ほんの数年前のことだったが、ずいぶんと昔のことのように感じられる。
 双子の小悪魔の役だった。随分と巫山戯た設定だと当時は眉間にシワを寄せて演出家兼脚本家の森を睨めつけたものだった。


 双子の片割れは中原中也だ。


 太宰治は中原中也のことが大嫌いだった。大嫌いなのに共演するなら中也がいいと心の底から思っていた。それを森に訴えたりもした。太宰の中で「誰より中原中也が嫌い」という感情と「絶対に中原中也がいい」という感情は同居し得るのだ。
 森は「それってほとんど恋だね」なんてからかっていたが、太宰にとってはそんな砂糖菓子のような言葉で済ませてもらっては困るのだ。
 舞台の上で一つの物語を生きるのなら、絶対に相棒は中也じゃないと駄目だ。そう太宰は信じていた。


 そしてその公演で中原は太宰がいつものようにパパッとメイクを仕上げていくのを見て眉をひそめた。
「手前、森先生がメイクの件、どう言ってたか聞いてなかったのか」
「あの人は自由にさせるでしょ? いつも通りでいいじゃないか」
すると、中原は「やれやれ」とばかりに首を振った。
「仮にも双子なんだ。今回は俺に合わせろよ。先生もそう仰ってた」
「ええー。なんかヤダ」
太宰はやだやだ〜と手足をバタつかせた。過度に幼い仕草をあざとくすると、中原は額に青筋を立てる。その顔を見ると満たされた気持ちになるのだ。


 次の稽古日の休憩時間に中原は太宰の「ほら」とアイシャドウパレットを渡した。
「今回のメイク、これやるから使え。で、覚えろ」
太宰を椅子に座らせ中原は言った。面倒くさいなあと言いながら、太宰はされるがままだった。メイクのことを考えるのは億劫だったし、中也が考えてくれるなら楽でいいや、と内心ほくそ笑んでいたのだ。
 そして中原もそれをよくよく承知していたのだろう。


 中原は手早く太宰の顔を変えていった。
 ブルー、シルバー、またブルー……。このブルーはちょっと色が違うらしい。
 真剣な顔の中原の青い瞳を眺めながら、太宰は息を潜めていた。
 そうして出来上がった顔は、なかなかどうして「悪魔」らしい出来だった。
「おみごとだね」
「姐さん仕込みだからな」
ふふんと自慢げに笑って「作品」を満足げに眺める中原に、太宰はふんと顔をそらす。
 思わず褒めてしまった悔しさと恥ずかしさから「君とおそろいになるなんて、最悪だけど」という悪態はやたら早口になってしまった。


 太宰はその顔を写真に撮って、器用に再現しながら公演期間を過ごした。
 隣には同じブルーとシルバーとちょっと違うブルーで悪魔になった双子がいる舞台だ。
 本当の双子みたいだね。なんて評判になった。
 そうだよ。中也は僕の片割れだもの。そんな風にインタビューで嘯いてみたりして、その度に中原から小突かれたりしたものだった。




「太宰さん?」
「……敦くん。君は今回、芥川君と組むんだろう?」
黙りこくった太宰を心配するような後輩をごまかすように、にこりと微笑んだ。
「……不本意ですけどね」
中島はあまりにも嫌そうな顔をする。なんだか昔の自分のようで背中がムズムズとした。
「そしたら、芥川君と話し合うといい」
演出家の先生からもそう言われているんだろう?と訊けば「うっ」と言葉を詰まらせ「そうなんですけどぉ」と情けない声を出した。


「アイツと話し合う前に、アイツより良い案を考えておきたいじゃないですかぁ」
太宰は今度こそ声を出して笑った。


 私はそんなこと、思わなかったな。中也も芥川君にアドバイスしているだろうか。そしたら、またあの時みたいにメイクをしてやるのだろうか。
 胸の中で鳥が一斉に飛び立ったような音がした。


 太宰は八つ当たり気味に「芥川君の方が、センスあるかもしれないね」と言った。本当に、本当の八つ当たりだった。
 中島は「なんで八つ当たりするんです?」と小学生でも見るような顔で太宰を見た。太宰はほんの少し恥じて「ごめんね」と謝った。