MAIN短編

桜吹雪

 武装探偵社社員・太宰治、ポートマフィア幹部・中原中也両名が横浜から姿を消して一週間が経った。
 探偵社社長は名探偵の「放っておきな」の鶴の一声で国木田独歩をはじめとする社員らの捜索を打ち切った。ポートマフィア首領は「可愛い子には旅をさせよ」と言って中原中也に“療養休暇”を与えた。

 そんな訳で、今、二人を捜索しているのは異能特務課のみとなったのだ。二人の捜索にあたっているのは彼らをよく知る坂口安吾である。二人はかつて双黒と呼ばれた危険人物であるため二人の失踪は政府としても看過することのできないことだったのだ。
 しかし、坂口は実のところ彼らを見つけるなど端から諦めていた。けれど彼らの姿を――その残り香を彼らの愛した街、横浜で探そうとした。それは彼のセンチメンタルだった。

 さて、この坂口安吾であるが、彼は異能力者である。モノに残った記憶を読み取る異能力だ。それは失踪した二人も知るところである。
 そこで太宰治は旧友たる坂口にとある嫌がらせを仕掛けた。
 彼は敢えて足跡を残した。そうして坂口に二人の姿を見せつけたのだ。

 例えばとある公園のベンチ。
 例えばとあるカフェのソファ。
 例えばとあるゲームセンター。
 例えばとあるホテルの一室。
 例えばとある映画館。

 どこにだって彼らはいた。
 

『ねえ中也、タヒチに行こう』
『はあ?』
『マラケシュでもいい…………どこか遠くに。
 ね?素敵でしょう?』
『………手前はまったく、どうしようもねえやつ』
『なんだい。つれないねぇ』
くすくすと笑い、太宰は中原の顔を覗き込む。そして太陽に反射するなめらかな赤毛を耳にかけてやった。
『空が青くて美しい国がいい』
『ここじゃご不満か?』
『昔見た空の青と同じ色を探してるんだ。だから、ここじゃあ駄目なのだよ』
中原は『どうしようもねえやつ』と囁いた。そして、ゆっくりと太宰に口付けた。
 太宰はきょとんとして、それから顔を真っ赤にさせて、幸せそうに微笑んだ。


『中也ぁ。オーロラも見たいねぇ』
『なんだよ。タヒチだかマラケシュだかじゃねえのか?』
『今はオーロラの気分なんだ。
 うん、オーロラを見よう。そして海に飛び込もうじゃないか』
『馬鹿か手前は。俺はぜってぇに助けてやらねぇぞ』
『気にしないでくれたまえ。勿論君を抱えて飛び込むつもりだ』
『ぶっ殺すぞ!』
中原は額に青筋を立てながら太宰を締め上げる。その手に黒の革手袋は無かった。


『太宰、太宰…………』
熱っぽく中原が繰り返す。
『ん……ふ、ふふ………』
ちゅ、ちゅ、と音を立てて太宰が中原の首に口付け、最後に真っ赤な花を咲かせる。
『ぁ、あ…………』
中原は感じ入ったように吐息混じりに喘いだ。
『ちゅうや、いい?』
太宰が訊く。
『まだ、駄目だ………待て。待て…まだ……』
中原が応える。
『いいよ。待っててやる』
そう言って中原の目尻に溜まった涙を吸い取った。
 するりと中原の腕が太宰の首に回る。
『星が………綺麗なとこ』
『え?』
『だから、星が、綺麗な場所。連れてけ』
俺は横浜しか知らねえから。そうボソボソと続ける中原。
『…………ふふ。いいねえ。満点の星空の下で、したいなあ』
『手前は本当に………』
『満更でもない癖に』
そこから先は見るのをやめた。


 そうやって坂口は二人を追った。
 そうして行き着いたのは、一本の桜の木だった。とても大きな桜の木だ。しかしこの数年は花をつけていないという。
 坂口は異能で桜が見た二人を見ようとした。
 

「異能力・堕落論」
 ザア…と風が吹く。時間の矢が逆転し、散りゆく薄桃の花弁が集まり大樹が満開となる。その美しさに坂口は息を呑んだ。

『すげぇ…』
すると、隣から少年の声がした。
『うん』
反対側からも少年の声がした。
 包帯だらけの少年と、赤毛の少年がいた。大きな瞳をまんまるにさせて桜を見ていた。
「本当に、綺麗だ」
坂口が思わず呟く。

 ザア…ともう一度風が吹き、花吹雪に視界を遮られた。
 次に現れたのは、女の首吊り死体だった。
『彼女は今でも美しい』
隣から、よく知る青年の声がした。包帯だらけの彼だ。頬を紅潮させ、ぶらりぶらりと揺れる女を見ていた。
 美しくなんてなかった。
 ぶくぶくになった肉体と、液体と。美しかったのであろう女は醜くなった。
『コイツはもう美しくない』
反対側から青年の声がした。どこか熱にうかされたような相棒を、憐れむような顔をしていた。そうして『空がこんなに青いのに』とため息をついた。

 ザア…とまた風が吹く。
 二人は木の幹にもたれるように座っていた。その手は恋人のように絡まっている。
 中原は眠り、太宰の肩に頭をあずけている。太宰はぎゅ、ぎゅ、と絡まる手を何度も何度も確かめ、微笑んでいた。
『まるで、死んでるみたいだ』
と太宰が言う。
『ねえ、安吾。君もそう思うだろ。
 中也は眠る時、死んだみたいな顔をする。きっと死んだときは眠るように死ぬんだろうね。

 私達はもうすぐ遠くに行くよ。後継者はいるし、暫く横浜は大丈夫だ。
 ……………なんてね。これは私のわがままだよ。
 心配してくれるな。一年か―――それか三年ぐらいで戻る。此処が私達の家だからね。
 でもチョットだけ。さよならだ』

 坂口は堪らず彼らに手をのばした。
 そして彼らに触れた瞬間、彼らは桜の花弁になり時間の矢は正しい方向に真っ直ぐ進み始める。


 大きな桜の木の下にはただ孤独な男がポツンと立っていた。
 枯れ木越しに見える空は青かった。