MAIN文豪ストレイドッグス短編

太宰目線の爪を噛む悪癖がある中也の話
ちょっと太宰が変態に見えなくもないです

⊶⊶⊶⊶⊶

 中也には爪を噛む癖があった。
 がりがりぼりぼりと歯で指の爪を痛めつける姿はネズミか、或いはネコのようだと思った。
「これ中也。やめんか、みっともない!」と咎めたのは姐さん。
「あまりやりすぎると血が出てしまうよ」と困ったように注意したのは森さん。
 私はといえば、中也が指を口もとに持っていって自傷行為にも似たそれをするのをじっと見ていた。何も言わずにただひたすらに。
 黒に包まれた彼の白い手――外つ国の血を引いているのだろう彼の本来の白が、神経質そうに口もとに運ばれる。
 私の前じゃ悪態ばかりが紡がれる薄い唇が開かれ乱暴に噛み締められる。
 あんまり酷い時は、まるで拷問でも受けたか獣にでも襲われたかと目を剥く有様になっていた。
 それを、ただじっと見ていた。
 

「あの癖ばかりはのう……見ていて不愉快じゃと何度も言っておるがいっこうに直そうとせん」
姐さんは片手を頬に当てて溜息を吐く。そして「それほどストレスが溜まっておるのだろうな」と私を見た。
「そうは思わんか。なあ太宰」
「さあ……私には分かりかねますけどね。マフィアに所属していてストレスと無縁の人間なんていないとは思いませんか?」
「阿呆。中也に過度なストレスを与えるのはそなたじゃ」
やれやれと首を振って姐さんは私に「嫌がらせも程々にせいよ」と釘を刺した。勿論私はその釘を抜いてぽいと捨てた。

 実を言えば、私は中也がどんな時にあの悪癖が出ているのか知っている。伊達に相棒ではないのだ。
 例えば、幼い私が自殺をはかった時。血相を変えて私を探していた中也の爪はぼろぼろになっていた。
 例えば、私が任務で敵の銃弾に倒れた(残念ながら死ぬことは叶わなかった)時。ベッドに横たわる私を真っ白な顔で見ていた中也は血が滲むほど爪を噛み締めていた。
 例えば、私が会議をすっぽかして消えた時。
 例えば、私が森さんの命令に異論を唱えた時。
 例えば、私が中也以外の男と一時的にバディを組んだ時。
 例えば、私がミスをした中也に「使えない」とやや大袈裟に詰った時。
 例えば、私が彼の提案する【汚濁】を使った作戦を却下した時。
 挙げればキリがない。

 だが中也の悪癖の原因は分かっていても、悪癖を直させる心算も姐さんに教える心算もなかった。
 それというのも、その行為が彼には似つかわしくない色を持っていて、その色は私にとってひどく好ましいものだったからだ。有り体に言えば酷くそそられた。彼が黒い革手袋をかかさず身につけるようになってからは余計に。
 私は無防備に泥酔して私に寝顔を晒した時に、そっと手袋を脱がせて、ぼろぼろになった爪を確認する。そして何とも言えない心地になってひとり悦に入った。私の、秘密の楽しみだった。
 汚濁の後なんかは部下に車を走らせている中、広い後部座席でぐうすか眠りこける中也の指を恭しく両手で持って爪を甘噛みしたこともあった。節くれだった指を唇で弄び、ぼろぼろの爪を舌でなぞる。そして柔らかく歯を立てるのだ。
 我ながら変態的だなあ、森さんのことロリコン変態無免許医師だなんて言えないや。そんなことを思いながら人差し指、中指、親指、薬指、そして小指を一本一本丁寧に弄り回す。特に小指は丹念に、小さな爪がウッカリ剥がれてしまわないように優しく優しく。だって約束のための―――指切りのための指だ。そういうわけで、小指は特別だから爪ではなく第一関節あたりを甘噛みする。
 口の中でぼろぼろにささくれ立った爪が舌を引っ掻いて、少しむず痒い。口の中のむず痒さはやがて全身に広がり、私は思わずもぞもぞと動く。
 悪趣味で、どこか背徳的ですらあって、堪らなかった。

 中也のぼろぼろの爪は、普段誰の目にも晒されない黒に隠されたぼろぼろの爪は、私のものだった。

***

 四年ぶりに再会して、他愛もない悪戯をしかけて、中也の変わったところと変わらないところを確認した。
 変わらないところ。悪趣味な帽子や間合い呼吸、言わずもがな身長。四年前はここまで身長差はなかった筈なのに、ぐんぐん背が伸びた私と違って彼は縦に成長できなかったらしい。そして何より、思考回路。中也が来るかどうかは賭けだったけれど、私の読み通り彼は来た。愉快でならなかった。
 変わったところ。体術は四年の間に磨きをかけたらしい。当たり前ではあるしある程度予想はしていたものの、思ったよりもずっと強くなっていた。

 でも。
 どれだけ変わっていようが変わっていなかろうが、中也は中也で、やはり私のものだ。汚濁がそれを証明してくれた。
 鎖の縛めを解き放つように黒手袋を脱いで、理性を手放し暴れまわる中也。私は中也が壊れる前にサポートする。彼から視線を逸らさず(もとより、そんな勿体無いことは極力しないけれども)私に寄せられた絶対の信頼に応えるのだ。
 私は正気に戻った中也がぱたりと倒れてぐーすかと間抜けな寝顔を晒しているのを懐かしく眺めた。もはや私たちは双黒としてこうやって暴れまわる日々を送ることはないのにね。馬鹿な中也。
「うわ……君、まだあの悪癖、直ってなかったんだね」
私はぼろぼろの爪を見てほくそ笑んだ。
 先程の戦闘で傷ついた手を、昔のように恭しく取って、ぱくりと口に含む。よく馴染んだ苦い味。舌に刺さるぼろぼろの爪。ごつごつの指。

 やっぱり中也は私のものだ。今までも、そしてこれからも、ずっと。
 私はちょっと考えてから、君は私のだからねって小指の爪を思い切り噛んでみた。そしてちゅぱ、と音を立てて指を解放する。その音が思いの外えっちな音になったので少し笑ってしまって、それから中也を置き去りにして帰った。

 ばいばい中也。また近いうちに、ね。

fin.