土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)
雨が降った。中原はすん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。彼の鼻孔をむわりと刺激するのは雨の匂いだ。暖かい春の雨は嫌いではない。ぱらりぱらりと頬で跳ねる雫はひやりと冷たいが静かで優しい。雨が降り止むと土は湿り気をおび芽吹きを促す。
コンクリートに出来る水溜りに、えいとばかりに飛び込んだ。
ぱしゃり。
小さな音が立つ。ちょっとした爽快感と気恥ずかしさで胸が擽ったくなった。中原はゴホンと咳払いをしてきょろきょろと周りを見た。別に誰もいない。
そうしてまた、すんと雨の匂いを嗅ぐ。
―――あゝ、春が来るなあ。
中原は上機嫌で雨に打たれた。
その時、ふとどこかの誰かがしたり顔で
「中也、雨の匂いっていうのはね、雨じゃあなくて地面から放たれている匂いなのさ。ちなみに雨上がりの匂いはカビの匂いだ」
と空に顔を向けて匂いを嗅ぐ中原に言ったのを思い出す。
中原は一瞬、顔をしかめる。しかし直ぐにフフンと笑ってみせた。
こんな暖かい雨の季節になったのだ。もう冷たい冬の川に身を投げ、びっしょりと濡れたまま刺すような冷たい空気に身を晒すこともなくなるだろう。
ざまあみろ、と中原は脳内の少年にべーっと舌を出して、それからピョンと水溜りを跳び超えた。